「人のせいにしてはいけない」というセリフの違和感

 「人のせいにしてはいけない」という言葉を今まで聞いたことがない人はいないはず。誰も反論できない正論中の正論と考える人が多いため、これを悪用するずるい人がいるように感じる。

 何か良くないことが起こった時に自分以外の誰かを責めるとよく言われるこのセリフ。この言葉の違和感を自分なりに分析してみた。

 私はプロフィールにも書いているように大学の医学部を中退した人間です。留年を繰り返し、心身共に限界を感じたために自主退学した。大学の教育システムや大学教授の傲慢さに憤りを感じすぎたために退学する際に当時の学生部長である大学教授に「人間のやることではない」と訴えたところ、その教授は「人のせいにしてはいけないよ」と言っていた。正論ではあるがとても違和感を感じたために失笑してしまった。その場をすぐに立ち去って大学を辞めたわけだが、今振り返ってもあの感覚はあながち間違ってはいなかったなと思う。

 まず学生部長という立場はどのような立場なのか。これは生徒達を一人前の医者に育てる責務がある立場だ。私のように退学した生徒に対しては自分の責務を果たせなかったわけだから、数%はこの人にも責任があるはずだ。それを「人のせいにしてはいけない」の一言で片付けるのは、この人の保身であり責任転嫁と言える。つまり自分の保身ばかり考えて逃げようとしている姿につい失笑してしまったわけだ。

 そして私がその人に放った「人間のやることではない」というセリフ。こんなセリフは通常は言わない。私が退学するまでにその教授が私と誠実に向き合っていれば、きっとそんなセリフは言っていなかっただろう。現に誠実に向き合ってくれた他の教授に関しては私は今でも感謝している。

 その学生部長が私と親を呼び出したことがある。どのようにすれば留年せずに済むのか、一緒に話し合いをするのかと思いきや、その人は自分の自慢話ばかりを繰り返し、いかに自分が偉い人間であるかを示すだけだった。自分は大学時代にアルバイトで学費を稼ぎながら勉強し、妹も大学に行かせたと言っていた。その話が私の進級と何の関係があるのかさっぱりわからず、ただ時間を奪われただけだと感じた。さらに私だけが呼び出されたこともあり、その時は私の話を聞いているそぶりだけして、全く別のことを考えているように感じた。話している最中に電話がかかってくるとその電話に出て、私の話を中断しているところからも、やはり誠実に向き合っていないのは明らかだった。

 結局私はその人を最後の最後まで信用できず、退学時にそういうセリフを吐いたわけだが、今でも全く後悔していない。

 最後に、本当に人のせいにしてはいけないのだろうか。相手にも原因がある場合は相手のせいにしながら、自分も反省するところは反省するで良いのではないだろうか。人のせいにすると自分が成長しなくなるとよく言われる。その通りだろうが、全部自分のせいにするとストレスで潰れることはないだろうか。そこまで自分を追い詰める必要は無いように思う。あまりにも我慢ならなかったら人のせいにしてストレスを発散し、心身共に健康になった後に反省して自分のせいにすれば十分成長できるはずだ。

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